その1からの、

そんなひたひたとした絶望–
に気づくと
「絶望でいたくない」
「ポジティブになりたい」「とにかく元気に」
とは考えられないのです。

「世間的な幸せだと思う状態になってしまうこと」
「そんな希望を持つ事」自体が
バカバカしく感じてしまうのだもの。

ええ、もう中2病とかナントカですか?
それでも続けていきますよ。

それは、未来に希望をもち空想するほどに、
ホントウの自己自身が希薄になる感じ。

ホントウの自己自身(それが何かは明確ではなくとも)
乖離せざるを得ない世界で
仕事や生活やお金など…
「その世界の幸せ」になることは
ヨッパライ状態にも思えたり。

常日頃は
そんな幻想の世界が好きなヨッパライ(私)は
なんらかの未来や過去への計画、希望、不安、を
浴びるようにゴクゴクと飲むように思考してないと、
シラフの自己の本質的な空虚(絶望)に気づいてしまう。
(そしてヒマが怖い)

今や
<絶望に気がつかないポジティブ>ってのは
<アイドルは一生ウ〇コしませんっ>
て言ってるぐらいにも思えてきたり。
この例えはどうなのだ?

って感じになっちゃったのよー(@_@)

じゃあ、すべてを放棄したいかといえば
絶望のママでいたいのかといえば
それはイヤだ。

うわ~、めんどくさ~(;´Д`)

「うお~、ウツだワ、ウツ」
ってだんなちゃんに言いながら二人でアハハと。

高波動好きなスピ業界で言うと、
これって、波動低いの?みたいな。

ボディワーカー的には
呼吸をナントカとか、運動を、
ビタミン・ミネラルを
とか?

でもね、なんとな~く
麻痺の無感覚から、
血が通ってビリビリ痺れが来た
と言ってもいい気もするし。

で、

そんなモヤモヤした状態が数日続いてたのだけど

ふと、

えーとよく覚えてないのだけど、
木が揺れるのが一瞬スローモーションになったり、
手元の景色が一瞬、止まったような感じがしたり、
何かの「瞬間」が急に「いとおかし」
みたいな、
なにか、
みたいな感じがチラリチラリと来たのね。
イミのないほんの些細な。

その
今、
だけが
怖れも絶望も妄想もない、
でもなにか新鮮なもの

そんな感覚。
でも、瞬間なのでなんだかわからない。

言語化難しい。

でも、それが私を少し救ってくれた気がする。
世界が前より軽やかになった気がする。

だから、コノ絶望は
なにか希望であるではあるまいか。

「仏性と衆生が水と氷のごとくである」と同時に、
「絶望と衆生も水と氷のごとくである」。
この二つは矛盾しているようで
「今」に統合されていく

とかいいながら、

時間を
希望や感謝で満たすことも
不安や不満で満たすことも
どちらもしたくないのに、

気がつくとそんな日常に戻っております。

やっぱり時間の隙間を埋めている。

それでも、なにかが違う。

絶望の背景にも
また別の背景がある
ていうか、絶望も「ごっこ」

で、なにがどうかはわからなくても
人は「表現」をし続ける。
何かしら外に向けて。
からだで、ことばで、思念で、あらゆるアートで。
それは生物としての「運動」のひとつでもあり、
内に向ける事でもあるんだな。

と、おとしどころも見つからずに
日々は過ぎていくのでした。

こんなお話ができるお友達いないかなあ~


描きかけの絵の一部

・・・・・
アーティスト/ボディワーカー
仲丸友恵
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インスタ
仲丸友恵の抽象画と猫のアート(このページ)

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