理解しようとする
情報を入れようとする
正しさを探そうとする

そんなことが邪魔になる

自分がわからなくなる
自分の感覚がわからなくなる

そして、もやもやする

モヤモヤして他人に頼る

頼ってもいいけど、
繰り返し繰り返し頼ることで
ホントは自分が知っているんだという事を
忘れてしまう。

例えば風邪
ゆっくり寝てれば回復するものを
医者に頼る。薬に頼る。

頼るからからだの力を忘れて、
風邪をひいたら薬を飲むものだと、
それが一番なんだと思い込んでしまう

薬を飲まないと不安になってしまう。

他人が風邪をひいても
「薬をのまなければダメよ」と
当然のように思ってしまう。

例えば仕事
仕事がうまくいくには
アレとコレを知っていなければと思う。
知っていないと対応できない、受け入れられない、まずい、
とアレコレ尽くして
いろんなもので自分を埋める

埋めて埋めて準備して
それで少し安心して動き出して
それもいつしか重くなって
本当はどうしたいのかを、
また
誰かに決めてもらいたがる

自分自身で歩きだす、
自分の感覚でやるということが
「それはマズい事」
のように思えてくる

ただ、動かない、
ただ、動き出す

「ただ」
というのは、
自分自身の感覚でしかない

からだからの感覚
心の深くからの感覚

そういう事の感覚が
多くの人は鈍くなっている
私もだ

安心から遠ざかっている
本当は欲しいのは安心であるのに。

それは青い鳥のように自分の中にあるのに。

自分だけで生きているのではない。
他者に頼ってはいけないというのではない。

やりたいことは
自分と外側のダンスだ。
他者とのダンス、情報とのダンス。
その響きあいで生まれる楽しさ。

それが自分の座を明け渡して
自分がいるはずの場所で、別物がダンスしている。

それは憑依でもある。
逆にいうと、憑依や他者からの影響を過剰に受けやすいのは
エンパスとかHPSとかの繊細さという
体質的なものもあるかもしれないが、
自分の座に自分が座っていない
別の言い方ではグラウンディングしていないということでもある。
(他にも意識のどのレイヤーに焦点を合わせるかというのもあるが、そこはちょっと置いておいて)

誰でも影響はうける。影響しあっている。
それでも、自分の座に自分が座るのを
完全に忘れては、やがてひきこもりたくもなるのだ。

そうなる前に、自分を思い出そう。
何度でも。

ヒーラー画伯仲丸友恵