まあ、新紙幣が出る、
そのたびに「安っぽい」という批判は出やすい。

でも、いい面もいっぱいあると思う。

ムリポジではなくて、
デザイン批判、集団心理など
別の視点でも新紙幣を
考えてみたいと思いまちた。

いきなりですが
地図、ありますよね。
店舗などの案内図の地図。
特に昔、
スタイリッシュでカッコイイ地図ってよく見た。

読めないほど文字が小~さくて、
なんなら全部ローマ字表記
道路の太さもみんな同じだったりする。
カッコイイんだ。

地図以外含めた紙面全体としても
そのデザインで正解なんだと思う。

見た目に反応する人のため。
「感覚」「感情」をとらえてるんだよね。

ただ、それ
使う人の事を考えた「機能」をメインにするより
どう見られるか、の意識なんだ。

だから、
目的地にたどり着く、という地図本来の
機能を考えて地図を作った時に、
ダサくもなる時もある。
ダサいのが機能的なよいデザインの時もあるのだ。

で、ダサいといえば、
はい、
新紙幣のフォントには批判がいきやすい。

ない!今までにない!
(だからなんだという話でもあるが)

でかいほうがわかりやすい、
でも、でかきゃいいってものじゃないし
美観も大事だし、
簡単に批判できる素材だと思う。

レイアウト的にもナゾなところは感じる。

でも、慣れてきたらどうなんだろう?
ずーっと何日も見ててみ?

慣れないものは排除しやすいからね

でも、裏面とか綺麗~~。絵とかいいよね。


それぞれの紙幣の色分けも分かりやすい。
とか色々良い所あり。

ていうか、紙幣だから、
基本的にわかりやすく、
使いやすければいいわけです。

 

なのだけど、
批判というのは
誰かが批判すればそれに便乗してもいいという
マス心理も追加されていく。

個人というものは、
集団に同化していくと
隠していたドロドロのイドを発揮したりするのだ。
一見、良い感情でも(ファン感情とか)

もうね、私中学の時に
「個人」が「集団」となる時のナニカ
について作文を書いてたぐらい
集団にあるなにかを意識したんだなあ。

 

それで、作る側視点として、
こんな公のをデザインする人大変だな、
特に繊細さんだと大変だなとか思っちゃう。
大衆のグナグナしたのがそこにある。

マスを相手にしたすごい仕事になるほど、目立つほど
簡単に批判される対象になっちゃうのだもの。

デザイン(機能関係ないアートじゃなくて)に
込められた意図、意味とか関係なく、
パッと見の印象と
その時の感情(これがクセものだ!)で
いとも簡単に判断されちゃうのだもの。

感情のひとつとして、
新しいものに対しては
拒絶しやすい。
大衆心理としても、
他と違う違和感のあるものは叩け、だ。
特に日本は!

そうであっても、
もし自分の友人がこのデザインを任されてたら
違う反応かもしれないよね。

わあ♡すごーい、とかね。

 

それが、公的なものになるほど、
マス(大衆)の意識になって
「叩いてもいいもの」になっていく。

もちろん、自分の中の
嫌とか批判的なもの事態が悪い事ではない。
むしろ、自分の中にあるそういう感情を
ちゃんと受け止めて、活かしていくのがいいと思う。

ただ、
イージーに叩いていると、自分自身が何かするときに
もう無意識に、同じ批判の矢印が
自分に向いているという構造になる。

そうやって自分も他人も小さくしていく。
私もそうなのだと思う。

なんでこんなのを書きたくなったかというと、
公に表現することへの自分のセンシティブさ、
集団に対してもっていた怖れや苛立ち
(でも、自分もそう)みたいなものを
少し整理しておきたかったのと、

アーティストとしても、表現の向うに
そういうものはあったとしても、
集団の表面的なエネルギーに
意識を向けてしまうより

自分にとって優しいもの、
もっと別のものに繋がる事や

さらに深いところの
人間の奥深いエネルギーを感じたい。
それと交感して
感じていけたら、と思うし、
それってどういう事だろう、という問いもある。

そんなエネルギーの循環の場にいる、つくる、
そうあれればと思うのでした。

仲丸友恵